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03_Maserati Bora 50 anniversary
Challenges in Citroen Era

短命ではあったが、知られざるマセラティの黄金期

1965年に拡大路線を歩んでいたシトロエンとマセラティの間で、マセラティのV8エンジンをベースとしたシトロエンSM用のV6エンジン供給に関するプロジェクトがスタートした。1968年にシトロエンは段階的にマセラティ株式の75%までを取得することが発表され、それまでのオーナーであったオルシ家は25%を保持することとなった。マセラティとシトロエンとのコラボレーションがここに始まった。

当時は、環境問題、安全基準などに対応する為、多大な投資が予測された。マセラティのビジネス自体は北米市場を中心に好調ではあったがファミリー資本によるローカル企業の限界が見えていた。さらに、マセラティにとってはオルシ財閥の創始者であるアドルフォ・オルシが高齢になっていた事と、当時CEOであった息子であるオメール・オルシが病魔に侵されていたという事実も株式譲渡の大きな理由である。

豊富な資金力とアルフィエーリによる新しい試み

シトロエン資本が入り技術開発に豊富な資金が投入され開発は大いに進んだ。チーフエンジニアであったジュリオ・アルフィエーリは開発責任者を継続し、彼のカラーが強くなっていく。アルフィエーリは大きな成果をマセラティに残してきたが、新しい試みに対する興味が人一倍強く、シトロエンによる豊富な資金をバックボーンに先進技術の導入に熱中した。シトロエン独自のLHMシステムやミッドマウントエンジンカー、ボーラの導入などが行われた。

シトロエンSM用エンジンの大量生産の為、設備拡張と3倍近くまで従業員数も増やし、北米輸出に備えたのだが、ホモロゲーションの遅れと、オイルショックの到来によりSMはマーケットを失い一転して苦境に立たされた。親会社であるミシュランがシトロエンをプジョーへ売却してしまったことにより、マセラティは資金のバックボーンを失い1975年2月に資産凍結を宣言され、シトロエン時代は終わりを告げた。

シエトロン時代の主要モデル

オルシ家時代より開発途中であったインディが1969年に発表され、後期モデルではシトロエンLHMによるブレーキが導入されるが、シトロエン時代の幕開けとなる一台は、マセラティ市販モデルとしてはじめてミッドマウントエンジン・レイアウトを採用したボーラである。以下、主要モデルを解説していこう。

 

ボーラ Bora 1971

各社が競ってこのジャンルを発表する中、マセラティはグランツーリスモとしての快適性を重視するというコンセプトをとった。そのため、室内及び、トランクルームのスペース、ノイズ、振動などあらゆる面で従来のFRレイアウトとの比較でデメリットを感じさせないものであった。イタルデザインを設立したばかりのジウジアーロによるモダンなスタイリングは充分実用性を考慮されており、V8 4.7L(のちに4.9Lとなる)エンジンが縦置きに搭載された。当時のオーナーであったシトロエンのLHMがリトラクタブルヘッドライト、シートアジャスト、ペダルアジャスト、ブレーキなどに採用された。フル・モノコックボディの採用や、4輪独立サスペンションなど、マセラティとしての初めての取り組みも多かった。北米仕様はエンジンチューニング、タイヤサイズが異なる他、年代とデリバリー地域の違いで2種類の衝撃吸収バンパーが装着された。

メラク Merak 1972

ボーラのボディをベースにシトロエンSM用に開発されたV6を搭載し2+2レイアウトとした。短いエンジンを巧みにレイアウトし、2シーターのボーラと異なり、狭いながらも後部座席が存在する。フロントまわりは、ほぼボーラと等しいが、リアは特徴的なルーフバーが採用され、サブフレーム等全く異なったレイアウトとなっている。エンジンはシトロエンSM北米仕様3lバージョンを搭載。LHMシステムもブレーキ等に採用される。当初、ダッシュボードはシトロエンSMからそっくり流用されるなど、よりシトロエンの影響が強く感じられる。のちにパワーアップしたSSバージョンが発売された他、イタリアの税制にあわせた2lバージョン2000GTも追加された。デ・トマソによるマネージメントが始まってからも、ブレーキ等をLHM仕様からコンベンショナルな型式に変更して1983年まで生産が続けられた。

カムシン Khamsin 1973

1973年にギブリの後継車としてデビューした。ベルトーネ=マルチェロ・ガンディーニによるウエッジシェイプの特徴的なボディは1800mmを超えるワイドな車幅をもつモダンなものであった。実用には適さないが小さな後部座席を持つ2+2で、ラグジュアリーなインテリアがおごられた。後方視界向上のため、テールライトが取り付けられるリアパネルが透明なガラスで作られたのは特徴的だ。LHMシステムがブレーキ、クラッチの他、パワーステアリングにも採用され、シトロエン流のクイックなセルフセンタリングのシステムには賛否があった。当時、北米で排ガス規制が激しくなりイタリアのハイパフォーマンスカーの対米輸出は難しくなったが、マセラティだけは各種改良により輸出を継続することができた。生産途中に放熱の改善の為、エンジンフードにグリルが追加された。またオプションで選択することができた3速オートマチックトランスミッションが装着された個体も多い。

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